尼崎市立小田北中学校13期生同窓会クラブ

尼崎市立小田北中学校13期生同窓会のブログです。2003の13組(重信学級)の同窓会、2007の還暦同窓会(全校生徒)、2011の卒業50周年同窓会、2017の古希の同窓会を経て、喜寿の同窓会に向けて情報を発信していこうと思っています。みんなの協力・提案を待っています。

タグ:海外放浪

lee abbey london1
Lee Abbey International London1970
 早々とフランス語学習をあきらめて、イギリス・ロンドンへ向かう。
パリから列車でカレーまで生き、ドーバー海峡をホーバークラフトというフェリーでイギリス・ドーバーへ。そこから列車でロンドンへ。ロンドンに着いてガイドブックを買い、ユースホステルを探す。
 ユースホステルはホーランド・パークというところにあったので、チューブ(地下鉄)に乗って目的地へ。チューブの入口はIN、出口がOUTとなっている。パリのメトロと違って分かりやすく、すぐにユースホステルに着く。日本の若者が何人かいて、いろんな話声が聞こえてくる。情報を得るために話の輪に入る。若者の中に横浜から一緒だったI君がいた。「おぬし、フランス語を勉強するとゆうてたんとちゃう?」と聞かれ「フランス語、全然わからんし!予定変更」とだけ言って、話はロンドンでの部屋探しやバイト探しに移っていった。
 ガイド・ブックで、アールズ・コートというところにいろんな国からきている学生寮のようなところを見つけて入ることに。そこから英語学校を見つけて通っていたが、持ち金がだんだんと減ってゆく。早くアルバイトをと、焦りの気持ちもあって、なかなか英語学習が身に入らない。そうこうするうちにユースホステルで知り合った日本の若者O君が近くに部屋を借りて住むようになったので、心細かった僕は、時々遊びに行くことに。クリスマスは僕が住んでいるLee Abbey Internationalで祝ったり、
大晦日はO君ところでI君と3人で正月を迎えたりで、今思うと自分の目的からずれまくってしまっていることがわかる。
london
 Googleで調べてみると、O君の部屋は現在、Windsor House Hotelになっていてグリーンの庇のあるところ。彼は庇の上の部屋。後に、僕もこの建物の3階にI君とシェアして住むことに。

Raizer Edge

1970/10/17 横浜港からナホトカまで、53時間の船旅。ナホトカからハバロフスクまで16時間の列車での旅。そしてハバロフスクからモスクワまで航空便で8時間と、5日間の旅である。モスクワのホテルは真新しい大きなホテル(インツーリスト・ホテル?)に泊まった。夕食が終わって日本から一緒に来た人たちは、それぞれモスクワの街の観光へ出かけて行った。僕は一人、ホテル内でゆっくりくつろいでいた。

ホテル1階の奥の方からディスコ音楽が鳴り響いていた。当時、ロシアはソビエト連邦共和国。社会主義国だったので、なんじゃこれ!日本や欧米諸国と変わらんやん!とフロントにいた女性スタッフに疑問をぶつけてみました。流ちょうな英語で反論されて僕の英語力じゃかなわないと、聞く側にまわってしまった。よくよく顔を見ると、これは!これは!初めて見るロシア美人。そして手元に読みかけの英語の本は、サマセット・モームの『The Razer’s Edge(剃刀の刃)だった。彼女の反論も終わり、へぇーそうなんだ!と僕も半分?納得していると時間があるかと聞かれたのでイエスと答える。じゃ何か飲みに行きましょうと誘われ彼女の仕事が終わるのを待って、タクシーで出かけました。夜のガソリン臭いモスクワ市内をタクシーで何軒かの店を回ったけど何処も、満席だったのかそれとも外国人と一緒に酒など飲むなど今思うと、当時のソ連では厳禁だったのではと。彼女はタクシーの運転手とも言い合っていたくらいだから。それでタクシーでまたホテルまで送ってもらい翌日のお昼を一緒にすることを約束して僕はホテルに戻りました。
 翌日は朝からそわそわしていて、何かお礼をしなくっちゃと思ったけど、思いつかず日本から一緒のツアーの女性からシームレスストッキングが喜ばれるとの話を聞き、一足分けてもらった。ホテルのすぐ近くのレストランで食事をしました。食事が終わって勘定をしようとすると、僕を遮って彼女が払ってくれた。かっこ悪いなぁ!なんか間違ってないかと思ったけど、ストッキングをお礼にと渡しました。とても喜んでくれたけど。
 初めての外国。旅の初めから夢のような出会いがあって、これからどんな旅になるんだろうかと思っていたが、この後、日本に帰るまでの3年間に、このような夢のような出来事は残念ながら一度もなかった。当たり前だよね!それまで日本でモテたことなかったんだからね!
 彼女がホテルのデスクで読んでいたサマセット・モームの『剃刀の刃』の英語版は50年経った今でも鮮明に思えている。このブログを書いていて僕は『人間の絆』や『月と六ペンス』その他短編など読んだことがあったが『剃刀の刃』は読んでいませんでした。改めて読んでみようと思ったがコロナ禍で図書館や本屋さんも閉まっていて、どんな内容かネットでいろいろ調べてみたりしていたら日本モーム協会と言うH.P.があって、タイロン・パワー主演の映画『剃刀の刃』(1946)が公開されていた。2時間25分白黒映画字幕なし。長い映画だったが、いまだに英語を学習中の僕にはいい勉強になりました。

 それにしても不思議なのは僕の旅の始まりに『剃刀の刃』という本があり、僕の旅の終わりにもこの本に似たような体験をしたこと。主人公はインドで修業し彼自身が人生について何かを得て帰ってくるのですが、僕の場合は愛には時などないのだと、インド・ニューデリーの建物の階段で野宿していて悟ったというより、諦めに近いものですが、それだけです。何も得るものがなく3年の放浪の旅を終えて帰国しました。今は、コロナ禍が終息し図書館、本屋さんが開けば早速、『剃刀の刃』を熟読しようと思ってる。

 このブログは同窓会ブログで、僕自身の個人的な体験などは新しく別のブログに書けばと思ったけど、新しくブログを開設するのも面倒だし、別にファイルをこしらえたら、それでいいんじゃないかと思い、書き綴っています。同窓生も「なんじゃこれ!?♫」と楽しんでいただければと思っている。

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