尼崎市立小田北中学校13期生同窓会クラブ

尼崎市立小田北中学校13期生同窓会のブログです。2003の13組(重信学級)の同窓会、2007の還暦同窓会(全校生徒)、2011の卒業50周年同窓会、2017の古希の同窓会を経て、喜寿の同窓会に向けて情報を発信していこうと思っています。みんなの協力・提案を待っています。

カテゴリ: ブログ初期の古い文章

学部長とガック

朝日新聞の512()(2012)朝刊阪神版に「リタイア後 憧れの歴史学」という記事が載っていました。日清製粉グループ元社長・村上さん母校・関学大の院に入学したという母校のキャンパスを背景に写真入りで大きく取り上げられていました。「東京での特別顧問として週2回、本社への出勤。授業のある火、水、木曜日に合わせて都内の自宅から西宮上ケ原キャンパスに通い、20代の同級生らとゼミや専門科目の講義を受ける」とある。

 

 年金だけでは生活できずタクシードライバーをしながら大学、大学院と通っている私にはキャンパスを背景に写っている彼のどや顔にジェラシーを感じる記事でありました。

 

 日曜日には、米映画「幸せの教室」という、あまりお金のかけていない映画を見に行ってきました。主人公のラリー(トム・ハンクス)は長年勤めたスーパーを突然解雇になる。その理由が、高卒だからという。奮起した彼は地元の短期大学に通う決心をする。そこで、美人教師と知りあうというラブストーリ、まぁB級映画でしょうかね。単純で、気持ちが楽になる映画でした。私のような人を相手のサービス業の仕事をしていると、厭なことが多くストレスがたまる一方なので、こういう気楽な映画がリラクッスできるので、よく映画館に足を運びます。

 

 そして今日のNHKのニュースを見ているとアメリカの名門大学の一つ、コロンビア大学で、19年間構内の清掃員をしながら授業料の免除制度を利用して勉強を続けた男性が、13日、学士号を取得して卒業し、全米で話題となっているとニュースを流していました。仕事をしながらの大学生活、しかも中高年、でも私より一回り下だけど、共感を覚えました。彼の名前はガッツ・フィリーパイ(52)。ほんとガッツある人です。「フィリーパイさんは旧ユーゴスラビアで生まれ。32歳のとき、戦渦を逃れてアメリカに渡りました。当時、英語が全く話せなかったフィリーパイさんは、コロンビア大学で清掃員の仕事を得たあと、大学が職員に対して設けている授業料免除の制度を利用して英語を勉強し、40歳からは一般教養の授業を受け始めました。

 午前中は授業に出席し、午後は11時まで掃除やゴミ捨ての仕事という生活を19年間続けた結果、このたび古典学の学士号を取得し、13日、卒業しました。アメリカのメディアは、フィリーパイさんの卒業を大きく取り上げ、「働きながら学ぶということに新しい意味を与えた」などと称賛しています。フィリーパイさんは次は修士号を狙いたいとして、このまま清掃員として大学に残り、勉強を続けるということです。」とNHKは伝えています。このガッツ・フィリーパイさんのニュースは土曜日の朝日の記事、日曜日の「幸せの教室」という映画などと比較してはるかに素晴らしい出来事だったとおもいます。「幸せはポケットにない、心の中にある」という彼の言葉にも感動しました。

'The richness is in me, in my heart and in my head, not in my pockets.'

2012514日に他のブログに掲載したものです。今読むと昨日のことのように思い出されます。



 
 僕がパソコンを使い始めたのは、バブル崩壊後の1998年頃だと思います。それまで勤めていた航空貨物会社をリストラされてハローワークの職業訓練コースでパソコンを習ってからです。それまで絵が好きで時々水彩画を描いていたり木版画で年賀状を作ったりしていました。それで最初はAppleのマッキントッシュのデスクトップで絵を描いたりしていまして、描いた絵をネットで公開したりしていました。絵だけでは面白味がないので趣味の映画鑑賞や絵画鑑賞などの文章を、時々書いていました。
 古希を過ぎてから、そろそろ僕もいろんなことで断捨離をしなきゃと思い始め、他のブログに書き散らした文章をこのブログのどこかのフォルダまとめて整理しておこうと思い、その最初の文章に15年前に書いた米映画『きみに読む物語』についての文章を再度ここに掲載します。


 「レンタル屋さんでいつ借りれるか待ちに待った、この映画、感動しました。夕陽に映える絵のように美しい湖畔。白鳥が群れをなす湖を「きみとわたし」のボートが静に滑って行く。1940年代でしょうか?古き良きアメリカ、時給40セントの製材所の作業員と大金持ちの娘の命をかけた恋物語。

 やがて年老いてアルツハイマー病に罹る「きみ」。薄れゆく記憶をノートに書きとめる「きみ」、そのノートを読んで聞かせる「わたし」。

 私は今、丁度、読んでいる本の中のモーツァルトの言葉を思い出してしまいました。<本当に信仰の篤い人や詩人のそばには、いつも死神が控えている。そして一生が無駄に過ぎてしまわないように、達成できる最高の意味を人生に与えるように振舞えと警告しているのだ>・・・・そう言えばこの映画の中でも詩の朗読や詩人の話が出てきます。ホイットマンとテニスンだったかな?

 市展へは額縁が規定より大きいため出品できず、取りやめました。午前中、大阪市内の額縁屋さんへ行って、この絵にぴったりの額縁を見つけ購入。急いで市展受付へ持って行ったんだけどね。額縁も絵の一部なのに、おかしな話です。持ち帰って他のF30号のアクリル画に入れ替えてみると、馬子にも衣装って言うんでしょうか、これもまた前より素晴らしく見えました。<一生が無駄に過ぎてしまわないように、達成できる最高の意味を人生に与える>この言葉をいつも心に!」October 3, 2005

 15年も経った今、改めてYoutubeで予告編などを観て思い出してみると、歳のせいかぐっとくるものがある。いまでも覚えているのは最後の方で愛し合う老夫婦がベッドで手を握りながら旅立つ姿は忘れられません。

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