私たち団塊世代は、戦後の貧しい時代に生まれた。職を求めて地方から都市部へ多くの人々が住み始める。私の父親も、そうであったが私が生まれて間もなく父は亡くなった。小学校に通う頃には給食があって母子家庭の私は無料で給食を食べることが出来た。中学校に入ると給食はなく弁当を持っていくか学校の売店でパンを買うかである。ある日、人だかりのする売店でパンをつかんでお金を払わずに立ち去ろうとした私を階段の上から見ていた先生にみつかり、首筋を痛いほどつままれ職員室に連れていかれ、たっぷりと説教されたのである。私はもうそれで、パン泥棒の件は許してもらえると思っていた。

 ところが、その考えは甘かった。翌朝、朝礼で列を作って並んでいると、その先生が来て、ちょっと来いと言って私をまた朝礼台の前まで連れてゆきそこで立っていろと言うのである。校長先生が朝礼台で話をしている間ずっと私は立っていた。さらしものである。2000人以上は居たであろう全生徒の注目を浴びながらである。その先生は他の先生に何かを説明していた。多分、私のパン泥棒のことだろうと思う。あれから何十年も経つが、人前に出てモノが言えなくなることがたびたびあった。あのミゼラブルな少年は、就職し結婚し、そして子供たちに恵まれて、すっかりパン泥棒のことを忘れていたのであるが、先日、映画「レ・ミゼラブル」を観て、ゴゼットの結婚式の場面で思わず泣いてしまった。訳の知らない妻は私の顔をみて「歳だね」と笑ったのであるが、すくすくと育ち結婚していった娘たちの顔が浮かんできて涙が止まらなかったのである。
2013年2月 9日 (土)
P.S. あのジャベール先生は生きているだろうか?
2020年11月 15日 (日)