尼崎市立小田北中学校13期生同窓会クラブ

尼崎市立小田北中学校13期生同窓会のブログです。2003の13組(重信学級)の同窓会、2007の還暦同窓会(全校生徒)、2011の卒業50周年同窓会、2017の古希の同窓会を経て、喜寿の同窓会に向けて情報を発信していこうと思っています。みんなの協力・提案を待っています。

2013年08月

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PPM 花はどこへ行った http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=1QZq-wKaBWc
昨日、8月29日の朝日の朝刊に、前回の毎日に続いて重信先生の戦争体験を語った記事が載っていましたので、今回もアップします。記事の終りの方に奄美大島から尼崎の中学校に赴任した当時のことが書かれています。「教壇に立った学校は荒れたところが多かった」「士官学校の出だから、厳しく指導してくれるはず」という当時の学校側の思惑などが語られていました。私も2年生から3年生になるとき、怖い先生が担任になると聞いてビクビクしていました。戦場での恐ろしい体験、今も行方がわからない妹さんの話など、初めて知りました。50年経った今、当時の私へのびんたが、先生のどんな気持ちからのびんたであったかが理解できるような気がします。

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   IMAGINE ♪http://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=dq1z1rkjw-E

今日、勤務先の老人ホームで夏祭があり、プログラムに13組の田代君がジャズの演奏者として来るという♪ あいにく今日、私は休みで聴きに行けなかったが、ほんとこういう偶然ってあるんだね。
もう一つ偶然がある!なんと13組の重信先生の講演の記事が今朝の毎日新聞に写真入りで載っていました。阪神版に掲載されていたので全国にいる小田北の同級生にも読んでもらおうと、このブログに転載します。

講演:「戦争駄目と言える人に」 元満州国軍兵士の重信さん、伊丹で /兵庫

毎日新聞 2013年08月04日 地方版


 戦争体験を語り継ぐ講演会「私の戦争体験」(伊丹市国際・平和交流協会など主催)が3日、同市千僧1の市立中央公民館であった。同市在住で元「満州国軍」兵士の重信森里さん(91)が体験を語り、旧満州国(現在の中国・東北部)からの帰国者や市民ら約110人が聴き入った。

 1921年に鹿児島県の沖永良部島で生まれた重信さんは、41年に陸軍士官学校に合格し、満州国の陸軍軍官学校などで学んだ。同期には朴正熙(パクチョンヒ)・元韓国大統領がいた。

 卒業後は満州国の軍隊「満州国軍」に所属。同軍は満州国の治安維持やソ連軍の警戒、抗日闘争を続ける八路軍の制圧を任されていた。現在の中国・華北地方に出征した重信さんは、弾薬庫や橋などを作る工兵隊長として、歩兵部隊とともに行軍していた。

 戦場では不注意で部下の銃剣が目に刺さり、失明しそうになる大けがをしたり、「腕が飛ばされるくらいはしょうがない」との覚悟で、地雷を掘り出した。「なぜ男に生まれてしまったのだろう」と思いながらも、親から贈られたお守りの「千人針」を腹に巻いて、自身を鼓舞していたという。

 終戦後は約1カ月間、民家に軟禁され、「いつ殺されるか分からない」という恐怖を味わった。帰国が決まり、天津からの引き揚げ船で佐世保港に向かい、無事に故郷に戻ることができた。

 帰国後は47年に教員となり地元の中学校で数学を教え、尼崎市での教員生活を経て85年に定年退職。現在は伊丹ユネスコ協会の日本語教室で帰国した中国残留邦人や外国人に語学を教えるボランティアに励んでいる。

 講演で重信さんは「戦争は命の奪い合いで勝者も敗者も存在しない。国や家族のために働いたと言っても、死んでしまえば何にもならない。若い方たちには戦争は駄目だと言える人になってほしい」と呼びかけた。【幾島健太郎】

〔阪神版〕

 読まれた同級生の方々の感想を聞きたいと思いますがどうでしょうか?できればメールあるいは書き込み、お願いします。

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