尼崎市立小田北中学校13期生同窓会クラブ

尼崎市立小田北中学校13期生同窓会のブログです。2003の13組(重信学級)の同窓会、2007の還暦同窓会(全校生徒)、2011の卒業50周年同窓会、2017の古希の同窓会を経て、喜寿の同窓会に向けて情報を発信していこうと思っています。みんなの協力・提案を待っています。

2024年の「喜寿の同窓会」に向けて!

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左端が私です。1970 ドイツ館・ドイツレストラン前にて
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今月9日(土)に朝日新聞の「声」の欄に掲載されました。いつも文字数の関係で編集されますが、今回は100文字ほど削られていて、なんか気の抜けたビールのようですっきりしないので、この場を借りて言いたかったことを書いてみたいと思います。


「大切な想い出を壊さないで」と言う題で投稿しました。以下は投稿時の原文です。

 「1970年の大阪万博は、私の取って青春そのものでした。ドイツ館で働いていた私は会期の3月15日から9月13日まで一日も休まず働いておりました。77か国の参加国、外国へ行ったことのない私は仕事の合間を縫って各館を巡ったりして、毎日がわくわくした体験でした。

その万博が2年後に迫っていて、ニュース、報道ではまだ1か国しか出店予定がないそうです。1970年は我々団塊世代のほとんど全員が社会に出て働き始めた頃です。高度経済成長期で大多数の人々が、自分は中流階級だと認識していた時代です。あれから53年、今はどうでしょうか。この30年所得が上がらず格差が広がり庶民の生活は貧しくなる一方です。万博の跡地には総合型リゾートいわゆるカジノが出来るそうですが、私にはそれを見込んでの万博ではないかと懸念しています。

それに加えて会場予定地は沖縄・辺野古と同じ軟弱地盤でとんでもない費用がかる。カジノが出来る前から、もうギャンブルにはまっていて合理的な判断が出来なくなっている状態ではないか。

あの夢のような万博を体験した私にとって、みっともない万博はやめてほしいとつくづく思います。」

私が言いたかったのはいわゆる経済学で言うところの「サンクコスト」埋没費用という概念です。サンクコスト効果の影響が深刻になる事例が、ギャンブルです。よくあるパターンとしてパチンコがありますが、次は当たりが出るだろうと、結局はスッカラカンになるまでお金を注ぎ込んでしまう。そんな状態が今の大阪万博ではないかと。あるいはいつ完成するともわからない辺野古の軟弱地盤の埋め立て工事も同じように文字通り海にお金を捨ててしまう「埋没費用」となるであろうと私は思います。

閑話休題:尼崎市立小田北中学校13期生の方々はこのブログをご覧いただいていると思いますっが、来年の喜寿の同窓会の日時が決まりました。2024・09・15(日)です。詳細は年明け早々、お知らせします。盛大に執り行いと思っていますので、まだ消息不明の同窓生の情報を求めています。今まで何回か開催した折に葉書を出しましたが、そこに記載されている私の携帯番号はずっと変わっていませんのでご連絡ください。待ってます♫

2014年11月2日重信先生93歳の誕生日会を開催しました。その時のブログです。65b52b1f.jpg

13組の重信先生が昨年2月に100歳で亡くなりました。コロナ禍で家族だけのお葬式だったそうです。一昨年から先生の娘様から年賀状じまいのお知らせをいただいて、何かあったら連絡いただけるようにとお願いしていたのですが、亡くなったとの喪中はがきが届いていなくて、同窓会ラインをやっている同じクラスの女生徒から教えてもらいました。コロナ禍で混乱されていたのかもしれません。神戸の和田神社内の納骨堂に安置されていることを知り、ちょうど2月16日が一年祭(一周忌)に当たるのでお参りさせていただきました。偶然にも行く途中、三宮から和田岬駅までの地下鉄で先生の娘さん、お孫さんたちと電車に乗り合わせました。駅から和田神社まで一緒に住んでいた娘さんに先生の亡くなるまでのお話を聞くこと出来、納骨堂まで案内もしていただき、奥様と並んだ位牌に手を合わせてきました。

 帰り道、先生との思い出にふけりながら帰りました。先生との思い出は沢山ありますが中国戦線にいた先生は悲惨な戦争体験をされていて私たちはホームルームなどで戦争は絶対ダメだと言える人間になれと教えられました。教師を退職後は反戦の講演をされたり帰国した中国残留邦人や外国人に語学を教えるボランティアに励んだりと活躍されていました。

もう20年も前になりますが、同窓会をすることになり、先生は上機嫌で二次会のカラオケまで付き合ってくださいました。そのとき中国語で歌った「北国の春」は20年経った今でも鮮明に覚えています。神社からの帰りはスマホから流れるテレサ・テンの優しい歌声で中国語の「北国の春」を聞きながら先生を偲んでいました。

今、中国との関係は不穏な状態です。先生が私たちに伝えたかったのは、こののどかな歌声がずっと聞こえる世の中であってほしいとの願いであったと思います。



来年は喜寿の同窓会です。身近ないろんな情報はラインでやっています。同窓生の皆さんぜひ参加していただければ楽しくなるだろうと思っています。尼崎市立小田北中学校13期生同窓会クラブでライン内を探していいただければわかると思います。宜しくです。

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今年の新聞への投稿は2月26日に掲載された・「ひまわり」思い出し平和祈る・で始まり、この「イマジン」で今年を終えることになりました。もっと書き足したいことがあったのですが、何しろ文字数が500文字に制限されているので、このブログで書こうと思います。海外放浪でスイスにいたのは1972年の1月ごろから6月ころまででした。チューリッヒのユースホステルに滞在したのはアルバイトを探していた間でした。ユースホステルのロビーには掲示板があってアルバイト情報があったりします。卓球台とかジュークボックスなどもあり、情報がないときは卓球をしたり音楽を聴いたりしていた。1972年ごろはベトナム戦争が激しさを増していた時期でもある。戦争忌避のアメリカの青年たちは大勢ヨーロッパにバックパックを背負ってきていた。特に永世中立国のスイスには多かったと思います。チューリッヒだけでなくレマン湖のほとりにも多くのバックパッカーがいました。美しいチューリヒ湖のほとりで水鳥達を眺めていた青年も心を癒していたに違いない。ユースホステルのジュークボックスからはジョン・レノンの優しい歌声の「イマジン」、ジミー・ヘンドリックスのベトナム戦争での爆撃音のような「アメリカ国歌」、そいして故郷の恋人を懐かしむようなニール・ダイヤモンドの「スイートキャロライン」が朝から晩までひっきりなしにかかっていた。この私の写真はユースホステルのロビーでくつろいでいる50年前の私ですが手にした煙草の煙がジョンの歌声に揺れているのか、あるいはジミヘンの爆音のような激しい音で揺れているのか、はたまた恋焦がれるニールの歌声に共鳴しているのか24歳の私の貴重な写真です。今では煙草を止めて15年経ちますが、上の3曲を聴くと煙草を燻らせたくなるほどです。IMG_0683
永世中立国とは?調べてみました。他国との条約によって、他国に対して武力を行使せず、また多国間の戦争にも参加せず、武力行使を義務とする同盟などは締結しないこと(局外中立)を誓約することである。永世中立国は、やむを得ない自衛の場合を除いて武力を行使しないことを誓約し、条約締結国はその独立と中立を承認し、保障する。とあります。これこそ日本が目指すべき道ではないかと思います。

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